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   桜のこと、父のこと

私は父が大好きでした。
不幸ともいえる生い立ちなのに、明るくて、いろんな事に好奇心を持って、
ギャンブラーで、迷惑なやつだった時期もあるけど、そんなときでも私は父が好きでした。

歴史が好きでした。家にたくさんあった中国の歴史の本、日本の歴史の本は私の心の形成にも影響してると思います。
落語が好きでした。古典落語を題材に、よく二人で笑いました。
ジャズが好きだったことで、私よりも兄と話があうこともありました。

最後に興味を持ってたのはパソコンです。その頃私は、まだパソコンに興味を持ってなくて、
父のPC仲間になれてませんでした。今、父がいたら、教えてもらったり、一緒に遊んだりできるのに、と残念です。

自分は心臓が悪いと思ってて、体のほかの所の心配をあまりしてない間に
胆管なんて体の奥のほうにガンができてしまって、不調の原因が判明しても、手術はできませんでした。

病気がわかってからの1年は、不整脈を理由に電車に乗ることもなかった父が
母への罪滅ぼしのように、二人であちこちでかけていました。

1月の中ごろに再入院したときは、もう退院できないことを覚悟していたようです。
それでも、3月15日の一時帰宅のときは、車を運転して母と買い物にも行きました。
痛みを伴わなかったのは幸いですが、死に対する恐怖や不安から、眠れない日も多かったようです。

4月に入ってからは歩くのも辛くなりました。
車椅子で最後の花見に出ました。4月4日。病院の通路の桜は八分咲き。
目を細めてたくさんの桜を眺めていました。

4月6日、もう、話す力もなくなっていましたが、母の「家に帰りたい?」の言葉に、しっかりとうなづき
意を決した私と母が医者の許可を得て、私の車で退院させました。
ほぼ満開の桜が家までの道に続いています。父の目に、桜は映っていたでしょうか。。。
薄れ行く意識を呼び覚ますように、時々ぎゅっと目を閉じていました。

家に帰り着いて、父の好きなアイスクリームを口に運んであげると少し笑って、子供の頃私をあやしたようにして
ぺろぺろと舌を出してふざけてくれました。うれしくて、悲しくて、涙が出ました。

夜の10時ごろ「今日は隣で寝ようね」と声をかけたときは「ふふん」と笑ったのに
私と兄と母が部屋に集まった時、心臓がとまりました。。。。。

お葬式の日、焼き場へ向かう車から、たくさんのたくさんの桜が、優しい雨に散っていくのが見えました。
「お父さん、見える?桜だよ、いっぱい咲いてるよ」

その時幼稚園児だった次男はこの春3年生、3年生だった長男は6年生になります。

    「願はくば 花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」西行法師

                                                    2001年 春